【作曲家ビリー・ストレイホーン Billy Strayhorn(1915-1967)】
オハイオ州生まれ、ハイスクールをペンシルバニア州ピッツバーグで過ごす。卒業後Pittsburgh Music
Instituteにて音楽を専攻。1933年(18歳)1938年(23歳)にデューク・エリントン(1899-1974)のライブをピッバーグで体験している。この二回目の公演の際、エリントンとストレイホーンは直接話し、アレンジの才能を見いだし1939年にニューヨークへと呼び寄せる事になります。
デューク・エリントンは当時NYマンハッタン島の北側、ハーレムの西側にある「シュガー・ヒル(Sugar
Hill)」という高級住宅地に住んでいました(現在では、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されています)。主に1920年代のハーレム・ルネッサンス期に成功した黒人知識人が住むようになった地区です。1939年にストレイホーンはエリントンから旅費を支援してもらいNYの自宅までの道順を教わります。その際、メモに地下鉄の『A急行』を利用するように指示が書いてありました。実はこれが「A列車」のアイデアの源なのです。
※1932年に開通した地下鉄(8th Avenue Line)においては2種類の電車が通っていました。
A 急行 A A 各駅
この「1939年」から、ストレイホーンはエリントンの右腕となって作曲アレンジを行うようになり、その年に書いたのが「Take the “A” train」なのです。ただこの曲はすぐに世に出る事はありませんでした。
【意外な事実】
1939年に米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)がラジオ等放送に関する使用料を大幅に値上げします(ラジオ局がASCAPの曲の使用量(楽曲数)に関わらず、収入に対し定率の使用料を払わなくてはならないというもの)。協会に加入していたデューク・エリントンも自身の作品をラジオ等で演奏出来なくなってしまいます。この時、ストレイホーンとマーサー・エリントン(デュークの息子)は、ASCAPに対抗する団体であるBMI(Broadcast
Music,
Inc)に加入し、エリントン楽団の新曲を大量生産しBMIに登録します(でないとメディア出演時に演奏出来なかったからです)。「A列車で行こう」はストレイホーンが作曲したこうした多数の楽曲の一つに過ぎなかったようです。マーサー・エリントンによれば、この曲の草稿は、フレッチャー・ヘンダーソン(ベニーグッドマン楽団の右腕アレンジャー)のアレンジにあまりに似すぎていたため、ストレイホーンが自ら破棄したものを、マーサーが「ゴミ箱から拾った」(※注)と語っています。その後、手直しがなされ1941年、1月15日にラジオ放送の録音が、そして2月15日に最初の商用音源(レコード)の録音が行われます。
※”Duke Ellington and Billy Strayhorn, Jazz Composers: Take the "A" Train". Smithsonian Documents Gallery. April 4 – June 28, 2009. p. 6. Archived from the original on October 25, 2013. Retrieved July 2, 2014.
【試聴】
デューク・エリントン・オーケストラ「Take the “A” train」(1941年)
オリジナルレコード(RCA 27380-A)
最も有名な音源です。Take the “A” trainは現代に至るまで実に多くのアレンジが存在しますが、この音源を基に「残すものは残し」「変えるものは変える」といった選択の中でアレンジがなされている事が分かります。
【楽曲の特徴】
この曲はハ長調(Cメジャー)で作曲されており実にシンプルなコード進行です。しかし、この曲の特徴にもなるコードが一カ所存在します。それが、3-4小節目のD7#11というサウンドです。もしかするとこれが無かったら、単調でつまらない曲だったかも知れません。このコードには「全音音階=ホールトーンスケール」という特種な音階が当てられます。このサウンドは、イントロで最初に提示される、楽曲を特徴づける音階です。
【歌詞】
歌詞は作曲の段階ではなかったが、1944年にデルタ・リズム・ボーイズ(黒人5人ボーカルグループ)の録音の為にストレイホーンが書いたとされています。トランペットソロの部分にも歌詞がつけられています。シュガー・ヒルとは先程紹介した地下鉄(8th Avenue Line)が通っている高級住宅街。社会的に成功した黒人たちが住んでいた場所で、エリントンも住んでいました。
You must take the A Train
ハーレムのシュガー・ヒルへ行きたいんだったら
To go to Sugar Hill way up in Harlem
“A”列車に乗らなくちゃ
If you miss the A Train
あの列車に乗り損ねると
You'll find you've missed the quickest way to Harlem
ハーレムへの近道を逃してしまうよ
Hurry, get on, now, it's coming
さあ、急いで、もう列車が来るよ
Listen to those rails a-thrumming (All Aboard!)
レールが音をたてているのが聞こえるだろ?
Get on the A Train
さあ、みんな“A”列車に乗って!
Soon you will be on Sugar Hill in Harlem
すぐにハーレムのシュガー・ヒルに着くさ
開始から34秒付近、画面左上に、「8th AVE EXPRESS」の表示が出てきます。何とも楽しそうな雰囲気です。
【多様な録音の紹介】
デューク・エリントン・オーケストラ「ハイファイ・エリントン・アップタウン」(1952年-LP)
1951年にエリントン楽団は数名の退団(ジョニー・ホッジズ(sax)、ソニー・グリアー(Dr)、ローレンス・ブラウン(Tb))により大幅なメンバーチェンジが行われる。また当時、最新音響メディアを用いた「ハイファイ=Hi-Fi
ハイフィデリティ(高解像度)」な録音が出回り始めた時期で、本作はそうした「新生エリントンサウンド」を前面に出しています。革新的な点は、(1)テンポチェンジがあるアレンジメント(3部構成)。(2)ボーカル(ベティ・ロッシュ)の歌とスキャットソロ=無意味音節(ドゥビドゥバなど)によるソロ。ソロ中「ヤンキードゥードゥル=日本ではアルプス一万尺」のフレーズが引用されます。
デューク・エリントン・オーケストラ「デジタル・デューク」(1987年-LP)
デューク・エリントンは1974年に亡くなりますが、実は現在でもバンド自体は存続しています。このアルバムは、アメリカ西海岸(ウエストコースト)のレーベル、GRPレコードの企画によるもので、指揮に息子のマーサー・エリントン(1919-1996)、Tpには、ルー・ソロフ、クラーク・テリーといった名手が参加しています。エリントントリビュートアルバムですが、A列車では、テナーサックスに当時若手のブランフォード・マルサリス(1960-現在)が参加しています。
レコーディングには当時の最新デジタル録音機(三菱X-850)が使用されました。デジタル録音、デジタル編集、アナログマスタリング(LP化)という80年代ならではの録音方法で非常にクリアなサウンド(ただちょっと綺麗すぎるかも、やや物足りないか?)。ウエストコーストの流れをくむGRPレコードらしい洗練されたサウンドです。
宮間利之とニューハード「テイク・ジ・A-トレイン」(1975年-LP)
1970年に設立されたスリーブラインドマイスレコード「three blind mice(通称TBM)」。日本のジャズシーンが熱かった時代のレコードレーベルで、素晴らしい音源が残っています。海外の模倣にとどまらない「日本のジャズ」を真剣に追求した作品群がリリースされていました。
宮間利之とニューハードは、日本のビッグバンドで最も長いキャリアを持つバンド(1958年〜)です。5days in jazzという日本都市センターホール(1959-1996 千代田区)で行われたTBM主催のイベント。その4日目のライブ演奏(74年にエリントンが亡くなって75年あたりは、こうした追悼ライブや録音が世界各地で行われていました)。
冒頭のMCで「ニューハードの音で演奏します」とアナウンスの通り、素晴らしい熱いサウンド。シャウトコーラスでは先程聴いたベティ・ロッシュのスキャットソロのフレーズ(アルプス一万尺)が引用されています。9分間の長さを感じさせない素晴らしいアレンジです。レコードを聴いているのに最後に拍手をしたくなる演奏です!
ケニー・バレル「Ellington is forever vol.2」(1975年-LP)
スヌーキー・ヤング(Tp)ジョー・ヘンダーソン(Ts)ジェローム・リチャードソン(Ts)ジミー・スミス(Org)ケニー・バレル(Gt)スタンリー・ギルバート(ベース)ジミー・スミス(Dr)※同名ですがスペリングが違う。
ギタリスト、ケニー・バレル(1931-現在)の75年発売のエリントン(1899-1974)追悼アルバム。ジミー・スミス(1925-2005)のオルガンが入った「ファンキー・ジャズ」のサウンドです。ミディアムテンポのジャムセッションの様なセッション。洗練されたギター演奏がお楽しみいただけます。
シカゴ「night and day」(1995年)
アメリカのロックバンド「シカゴ」のバージョン。管楽器セクションを取り入れたスタイルで「ブラスロック」などとも呼ばれます。本アルバムには、ジャズスタンダードのファンキーなアレンジが多数収録されています。
A列車で行こうの歌詞は、時代によって書き換えられており「確定的な歌詞が無い」のも特徴です。このバンドのバージョンの歌詞を以下に書きます(田丸訳)。
Come on down, let's take the 'A' train
さっさと地下に降りてA列車に乗ろうぜ
To take a little ride around the city
この街の小さな旅の始まりだ。
Brooklyn or Broadway train
ブルックリンやブロードウェイの地下鉄に乗れば
You'll see that old New York is kind of pretty
ちょっと素敵な昔のNYにきっと出会えるさ。
Take your baby subway ridin’
素敵な恋人も乗せてあげて
That's where romance may be hidin'
きっとロマンスが待っているはずさ。
(Let's take a ride)
(そうだみんなで乗ろうぜ〜!)
Take, you should take the 'A' train
A列車に乗り遅れるなよ
To get to Sugar Hill way up in Harlem
ハーレムの「高い所にある」シュガー・ヒルに着く為に
Come on baby, climb aboard the 'A' train
いいかおまえら、A列車に乗り込めよ
That's the way to get to Sugar Hill in Harlem
ハーレムのシュガー・ヒルに着く為にな。
And if you get aboard the 'A' train
もし乗り込む事が出来たなら
You'll get to Sugar Hill and in a hurry
(急行だから)すぐにシュガー・ヒルに着いちゃうぜ
Listen here, listen to the train a comin’
聞こえるかい、電車が駅に近づく音が
Hear the rails a hummin’
レールがハミングしているよ
(Let's take a ride)
(そうだみんなで乗ろうぜ〜!)
Climb aboard, climb aboard the 'A' train
乗り込め、乗り込め!
To take a little ride around the city
この街の小さな旅を始めよう
この歌の部分がすべて終わると、ストレイホーンの時代とは様変わりしたニューヨークが音で表現されています。サイレン、クラクション、喧噪、ストレス、イライラ、、、、、